3DCGという幻想

はてぶろ、書きます!

 

まぁ夏至まで後1時間だしBlenderがCPUとGPUをいじめていて、する事が無いのでブログを書こうと思った。

 

最初の記事は3DCGという幻想、なんというかかっこつけているがかっこつけてるから仕方がないのだ。

 

さて、もう2020年にもなって3DCGは個人にも利用されるようになり、また自分も利用している立場になっている、色々な会社が高価なquadro(gefoだとRTX2080Tiいいよね……。)とxeonを走らせて高価な画を出力しているんだろう。自分のPCは当時の傑作だったi7-3770K(2012)とGTX980(2014)である、限界。

 

ちなみにどうでもいい事だけど筆者はCG業界では(3年目のリガー趣味含めると5年)若すぎる位なのでまぁベテランの方々がもしこの記事を観たら「若いね」位の感想をもって頂けると幸いです。

 

話を戻して、今まで日本の劇場や地上波にもたくさんの3DCG作品が出てきた、ドラ泣きとか、ガンバとか、色々出てきたと思う、ジブリも手を出した領域だし、ロボット物でも大活躍である、キャラの使いまわしが出来るという利点がうまく回れば3DCGというツールは非常に画を出すには良いものだ。

ギルティギアみたくゲーム会社がアニメに肉薄するクオリティのモノを出したり、FFシリーズはとにかく質感表現に拘ったゲームを出したり、オレンジなんかはセルルックの完成に近いのではと言えるような宝石の国を出した。

 

これからも一杯CG作品は出てくるだろう、きっと個人で傑作を作る人間も出てくるし

会社で大当てする所も出てくる、かな。

 

しかし、立ちふさがる問題がある

 

「それ、3DCGでやる意味ある?」「手描きのがよくね?」

ちなみに3DCGでやる意味は見る側の為というよりぶっちゃけ私の雇用の為に必要なので、要らないと言われると生活イタイイタイなのであった。

 

残念ながら否定はしない、手描きのが良い、何故なら手描きは描きゃ何でも出来る、どんな表現でもできる、アレクサンドル・アレクセイエフを量産すれば絵画アニメだって作れるしゴッホを量産すればゴッホ、最期の手紙だって量産が可能だろう

大友氏を量産してAKIRAを生産しまくれば日本のGDP、所得クールジャパンもホットジャパンになるに違いない

今敏氏の復活はいの一番にやってほしい、夢見る機械……。

 

……じゃあ日本の3DCG作品はどこに問題を抱えてるのよ

 

これは諸説あるのであくまで私の考えでしかないけど、結局はmayaやmaxやhoudiniの機能の範囲でしかそれを作れていないという事なのだ、つまり3DCG関連で作品を作るときに、誰も最終画をコントロールしていない、mayaやmaxといったDCCがその画を吐き出すからそれで良しとしているだけ、監督……!すみません、これがこのソフトの限界なんです……!この複雑な光の計算とか毛の表現とか見てくださいすごいでしょ!、凄く豪華な処理をしているんですよ……!勘弁してください!quadro君が泣いているんでち!! 「……わかった。」

 

こういう事である、最終画がほんとにそれでいいのか?という事である。

めっちゃ敵視されそうな書き方してる、こえー。

 

まあでもほんとにそう、拘るポイントが計算とか処理であって画ではない。

ライティングが正しいか正しくないか(滅茶苦茶大事な事ではあるけど)

ここの色味は現実ではこうだから画でもこうするべき、成立しているべき。

 

何故なら現実に沿ったものであればだれも文句は言わないから

言い換えれば、現実の高度且つ絶対的な答えに甘えている、想像力を放棄していると言ってもいいのかもしれない。

 

でもそれは当たり前である。  客に傑作だと言わせる最終画を出せる人間は天才なのである。

 

天才で且つあらゆる表現を勉強してその中から最適解を出せる天才のみが創造に到達できる。

 

3DCGだから2Dだから、または実写だから技術はこういうのを使っていてこういう計算しているからまたはすごい高い機材を使っているから

というのは実はとっても些細な事で。

その画がどれだけ魅力的であるかどうかを評価し最終画を構築する事が重要だったりする、でも結局そこが一番めんどくさくて一番文句を言われる所でもあるし責任も重大だし最終画なんて誰も考えたくないからね。

2Dは1から全てを構築する、 でも3Dはなんか色々用意されてて、なんか色々な機能を組み合わせたら画が出てくるのである、そこにまだ振り回されてるんじゃないかな

ってのが結論。

 

(PS.バースとか鰤とかRiotのMVとかすき)